美術館の壁に掛けられた一枚の絵画、水平線を赤く染める夕陽、あるいはテレビ画面に映るアイドルの顔……。何かを見て「美しい」と感じるとき、私たちの脳では「眼窩(がんか)前頭皮質」という部位の活動が高まっています。この眼窩前頭皮質は「ごほうび」をもらった時やもらえることが分かった時に働く「報酬系」というネットワークに属しているため、美しいものを見ることは脳にとって「ごほうび」だということができるでしょう。ちなみに、美味しいものを食べたときにも、この眼窩前頭皮質の活動が高まることが明らかになっています。

 それでは、私たちはどのようなものを見たときに美しいと感じるのでしょうか。脳が美しいと判断するものにはいくつかの法則があると考えられます。まっさきに思い浮かぶのは対称性です。

 雪の結晶や花、蝶の羽など、対称性をもった美しいものは自然界の中に数多く見出だすことができます。実はこのことが、脳が対称なものを美しいと感じる理由の一つだと考えられます。人類が自然環境の中で生きてきたことを考えれば当然ですが、私たちの脳は自然界にあるものに対して敏感に反応するようできているため、それと同じ性質をもった人工物に対しても美しさを感じるのでしょう。同じ理屈は、黄金比(近似値は1:1.618。オウム貝の殻の形状やひまわりの種の配列等に見ることができる)にも当てはまると考えられますが,黄金比は必ずしも最も美しいとされる比率ではないことを示唆する研究も多く見られます。

 対称性の美しさはもう一つ、他人の外見の魅力によっても説明することができます。私たちは均整のとれた、つまりは対称性の高い顔や体に惹き付けられます。顔や体の対称性はその人の健康らしさとの相関が認められるため、自分の遺伝子を残す相手にふさわしいと脳が判断しているのでしょう。このようにして獲得された判断基準が他のものにも適用され、法則になっていったと考えられます。私たちの脳は長い進化の過程で、「美しい」と感じる心の働きを身につけてきたというわけです。

 このような脳の働きは脳科学や心理学の研究によって少しずつ明らかになってきています。しかし、優れた芸術家はそのはるか以前から、自らの感覚と経験によって脳が反応する美しさを生み出してきました。新抽象主義として知られるピエト・モンドリアン(1872年~1944年)は初期の写実的・自然主義的な表現からピカソらのキュビズムを採り入れた抽象化を経て、コンポジション(構成の意味)の表現へと至ります。縦横の線と色彩の構成によるモンドリアンの作品には、私たちの脳の働きが表れています。視覚野の神経細胞には縦横の線に反応するものと斜めの線に反応するものがありますが、その数には差があり、後者よりも前者の方が多いのです。モンドリアンはまるでそれを知っていたかのように、縦横の線だけを使うことで、視覚野の働きを最大化する表現を完成させたのでした。

 私たちが美しさを感じる対象はさまざまであり、時代や文化によっても変化することは言うまでもありません。一方でそこには、今見てきた通り、脳の働きに従う法則があると考えることができます。古代ギリシャの哲学者プラトンに「美は善の幕である」という言葉がありますが、それを裏付けるように、私たちが「良いもの」を認識するときにも前述の眼窩前頭皮質の働きが活発になることがわかっています。美しさを感じているときの脳の働きには、個人差を超えた共通性があります。美を求めるという行為の深層には、もしかすると、人と人のつながり,さらには自己と他者の関係に意味を見出すという普遍的な心や脳の働きがあるのかもしれません。


※タイトル画像:ピエト・モンドリアン 『赤、黄色、青、黒のコンポジション』(1921年、ハーグ市立美術館)