禅の問答は、なぜ、トンチンカンで不可解なのか? あるいは、そう見えるのか? たとえば、唐代の禅宗の事実上の祖とされる馬祖道一(ばそどういつ)に、次のような問答がある(『景徳伝灯録』巻六・馬祖章)。

僧問う、「如何(いか)なるか是れ西来意(せいらいい)?」
祖(馬祖)云く、「即今は是れ什麼(なん)の意ぞ?」

 「西来意」とは「祖師西来意」のこと。祖師達磨が西からやって来た意味は何か? 達磨は何を伝えたのか? それは禅の第一義を問う定型句である。それに対して馬祖の答えはこうだった、「ただ今は、どういう意か?」

 疑問文で疑問文に応じており、質問にまったく答えていない。これでは次のようなやりとりと、いったい、どこが違うのか?

妻「今晩、なに食べたい?」

夫「テレビのリモコン、どこ置いた?」

 この態度では、怒られてもしかたない。晩ごはんを食べさせてもらえなくても、自分が悪い。もし、これと同じなら、禅問答がチグハグだとか不合理だとか言われるのも、無理はない。だが、疑問文に疑問文で応じたら、ほんとうに対話は成立しないのだろうか? 次のやりとりは、どうだろう(飯野勝己『言語行為と発話解釈―コミュニケーションの哲学に向けて』勁草書房、二〇〇七年、頁二〇九)。

甲「あなたは阪神タイガースが好きですか?」

乙「僕がどこの出身だと思ってるの?」

 むろん、このやりとりだけでは、乙が阪神ファンなのかどうか、第三者にはわからない。だが、当人どうしの間では、話はちゃんと通じている。乙が大阪の人なら、答えは、イエス。そうでなければ――たとえば広島の人だったりすれば――答えは、まちがいなく、ノー、である。むろん、大阪人がみんな阪神ファンとは限らない。広島の人が一人のこらずカープファンであるはずもない。だが、そういう理屈は、事実としては正しくとも、この会話においてはヤボである。ここで乙は、自分の出身地と野球チームの関係を考えれば、答えは自明のことだと言っているのだから。

 では、どうして、こんな言い方をするのか? 「はい」または「いいえ」、すなおにそう言えばすむではないか?  しかし、ほんとうにそれですませたら、どうなるか。

「あなたは阪神タイガースが好きですか?」

「いいえ」

 これでは、すなおどころか、会話の拒否、悪くすれば、絶交の宣告だ。それに対して甲と乙の最初の会話は、意味が通じているだけでなく、きっと話がはずんでいる。目的があっての会話でなく、会話を楽しむためのやりとりではないかとさえ想像できる。なぜか? それは乙が甲の問いに正解を与えるのでなく、両者の共通の知識(ここでは乙の出身地)を利用しながら、甲に質問をなげ返し、甲自身に答えを出させるよう会話がしかけられているからである。双方向のことばの往来は、互いの心を交流させる。相手から与えられるのでなく、自分のなかからポトンと出てくる答えには、ハッとひらめく発見の喜びがある。クイズをやっている時と同じである。初めから答えを教えられては、つまらない。ヒントをもらって、自分で当ててこそ、楽しい。

 むろん、禅の問答は、楽しみのためでも、交際のためでもなく、真剣な求道のためのものであろう。だが、基本的なしかけは右の会話と同じである。馬祖と修行僧の問答の場合、前提となるべきは「祖師西来意」ということばの内実である。これについては、馬祖自身が、説法の場でこう明言している(『景徳伝灯録』馬祖章)。

汝等諸人(なんじらしょにん)、各おの信ぜよ、自らの心是れ仏此の心即ち是れ仏なりと。達磨(だるま)大師は南天竺(なんてんじく)国より来りて躬(みずか)ら中華に至り、上乗一心(じょうじょういっしん)の法を伝えて、汝等をして開悟(かいご)せしむ。

 また、馬祖の再伝の弟子で、かの臨済義玄(りんざいぎげん)の師であった黄檗希運(おうばくきうん)の説法にも、次のように見える。「汝ら但(た)だ凡情聖境(ぼんじょうしょうきょう)をさえ除却(のぞきさ)らば、心の外に更に別の仏無し。祖師西来して、一切人の全体是れ仏なることを直指(じきし)す」(『伝心法要』)。「祖師は西来して、唯だ心仏を伝え、汝等の心の本来是れ仏なるを直指せり」(『宛陵録』)。汝らひとりひとりの心が仏である。この心をおいて外に仏は無い。その一事をずばりと直指するために、祖師達磨ははるばるやって来たのだというわけである (衣川賢次「古典の世界―禅の語録を読む(1)~(3)」参照。『中国語』内山書店、一九九二年一一月号~九三年一月号)。この一事を前提として導入すれば、さきほどの馬祖の問答にも、実はちゃんと意味があったことがわかる。

「祖師が西からやってきた意味は、何でしょうか?」

「今この場の意味は、何なのか?」

 汝の心が仏である、そう直指するためにこそ、祖師はやって来た。だから「祖師西来意」を問うことは、汝自身の心を問うことにほかならぬ。さあ、今この場に活きてある、己が心を省よ。馬祖はそのことを質問者に自ら気づかせようと、問いを投げ返しているのである。僧の求道心は、決してはぐらかされていない。

 基本的なしかけは、さきの阪神タイガースの会話と同じである。ただひとつ違うのは、質問者のほうはこの前提をあらかじめ共有してはいない、ということである。「祖師西来意」=己れ自身の心、この前提があれば問答は対話として成立する。だが、それがなければ、問いと答えは脈絡をもたず、それこそ俗にいう「禅問答のような」やりとりに堕してしまう。ここで質問者に要求されているのは、所与の前提にしたがって解答を導き出すことではない。表層の不可解さをのりこえて真の対話を成立させるべく、自らその前提を見つけ出すこと、それこそが質問者の使命である。もし、その前提が発見されれば、その瞬間に、問題は根本から解決する。あるいは、疑問そのものが無用となって、解消する。「門より入る者は、家珍(かちん)にあらず」。人から与えられた答えは、我が身の問題の決着になりえない。答えは己れの身の上にこそあり、それは自ら直観し体感するほかないものだ。一方的に正解を授けるのでなく、修行者自身に答えを見つけさせること、それが師のつとめであり、問答はそのための不可欠の手段であった。

 こういうしくみを具えていれば、答えの文が疑問形になっていなくても、やりとりは同じ機能を発揮する。たとえば大阪のお店では、こんなやりとりが見られるという(尾上圭介『大阪ことば学』講談社文庫、二〇〇四年、頁三六)。

「黒のカーフの札入れで、マチがなくて、カード二枚ほどはいって、キラキラした金具がなんにもついてないやつで、ごく薄くてやわらかあい、手ざわりのええのん、無いやろか」

「惜しいなあ、きのうまであってん」

 店主の回答は「昨日まで有った」という事実を報告するものでは、もとよりない。昨日来ようが、おととい来ようが、そんなややこしいものは、もともとウチには無いのである。だが、「無い」という結論を一方的に伝えるのとは、わけが違う。「昨日まで有った」という答えにくすぐられて、「無い」という結論が、質問者のほうの心からコロリと転がり出てくる。お客は、がっかりするより、笑ってしまう。ここでもやはり、大事なのは、結論でなく、双方向の心の交流である。うまくすれば、その交流が、新たな商いに結びつかないとも限らない。「きのうまであってん」――この一句は、文法形式上は疑問文でない。だが、やりとりのなかでは、事実上、質問者自身に答えを出させる、問い返しの文として機能しているのである。では、次の有名な問答は、どうか?

洞山(とうざん)和尚(洞山守初)因(ちな)みに僧問う、「如何(いか)なるか是れ仏?」

山(洞山)云く、「麻三斤(まさんぎん)」。(『無門関』第十八則)

 「仏とは何ぞや?」「三斤の麻」。問いと答えの間から、いかなる意味も論理も読み取れそうにない。事実、宋代の禅門においてこの一則は、「公案」として、すなわち、非意味的・非論理的であるがゆえに修行者からすべての分別を奪い去る工具として、多用された。だが、入矢義高「麻三斤」によれば、唐代において「三斤」は、納税や交易の際の「麻」の基本単位であり、それはちょうど衣一着分に相当していたという(『増補 自己と超越―禅・人・ことば』岩波現代文庫、二〇一二年)。唐代の禅宗において、己れの心こそが「仏」だと考えられていたことは、すでに見た。とすると、右の問答はこう解することが可能になる。「〝仏〟とは何か?」「衣一着分の麻」。材料は、ちゃんとある。だが、それを一着の僧衣たらしむる己れは、どこにいる? 洞山はいわば「衲衣下(のうえか)の事(じ)」、すなわち、いやしくも僧衣をまとう、一箇の修行者としての自己の本分を問いつめているのである。それを置いて「仏」は、無い。

 ジョン・R・マクレー『虚構ゆえの真実―新中国禅宗史』(大藏出版、二〇一二年)は、悟りというゴールにむかって一本道を登ってゆく「双六(すごろく)」のような修行のあり方を「道のパラダイム」、師と弟子の二極間の交流からなる「囲碁」のようなあり方を「出逢いのパラダイム」とよぶ。そして、修行者のありかたを、前者から後者に転換させるところに禅の問答(「機縁問答」)の重要な機能があったと説いている。

弟子たちにおいてはこのような「道のパラダイム」が前提となっているのだが、それに対して禅修行の指導者は、問答という相互作用が働く「出逢いのパラダイム」に入るよう彼らに強いる。先入観というのはえてして頑固なものであり、この転換はもちろん、言うに易く行うに難きことではあろう。だが、ともかく禅宗の出現によって、真の精神的な進歩を実現するモデルが、双六風の一次元的修行から二次元的な出逢いの世界へと変わったのである。ゲーム盤上でコマを動かすのに比べ、この二次元な相互交渉の世界では、ルールで規定される割合が少なく、より直感的かつ創造的である。あたかも、二人で舞うダンスのレッスンや、男女の恋の手ほどきのように。(頁一三四、傍点原文)

 国語辞典で「禅宗」の項をひくと、坐禅によって悟りをめざす宗教、とよく書いてある。だが、中国の禅は、実は、「問答」によって、修行者を、ハタと本来の自己に立ち返らせる宗教だったのである。

※本稿は≪春秋2013年11月号(No.553)≫に掲載された『禅問答のしかけ(小川隆)』を転載したものです。