常夏の島ハワイは、日本でも屈指の人気を誇るリゾート地です。アメリカの州のひとつなので英語が公用語になっており、先住民語の言語である「ハワイ語」を話せるのは人口140万人のうち2万人ほどしかいないといわれています。そんなハワイ語に代わるかのように、人口の半分が理解し話せるのが、「ピジン」という言語です。今回は、ハワイのピジンについてお話します。

 ピジンとはもともと、貿易や植民地化など究極的な状況が発生したときに、共通の言語を持たない人同士が生み出す「間に合わせ」のコミュニケーション手段のことを指します。つまり、それを母語として話す人がひとりもいない言語です。ハワイのみならず、カリブ海やパプアニューギニアなどでもそれぞれのピジンが生まれました。

 ハワイのピジンは、1778年にキャプテン・クックが上陸して以来、貿易や捕鯨で使われるようになりました。英語を話すアメリカ人と現地のハワイ先住民との間でコミュニケーションがとれる共通の言葉がなかったため、それぞれの言葉を持ち寄ることで独自の言語を築いていったのです。19世紀半ばにハワイでサトウキビプランテーションが本格的に始まると、各国から移民が集まり、複雑なピジンに発展していきました。そしてサトウキビを育てて収穫する一連の労働に必要なやり取りを通じて変化を遂げていきます。

言語としての特徴 

 ピジンは、独自の規則性のある文法を持つという点でブロークンイングリッシュやスラングとは異なります。英語とハワイ語のハイブリッドだった最初のピジンに文法構造的な影響を与えたのが、広東語とポルトガル語だといわれており、ボキャブラリーには日本語やフィリピンのイロカノ語が貢献しました。ただ、どこからどこまでが何語の影響というのは難しく、グラデーションのようになっているのがピジンの特徴でもあります。たとえばピジンで“Hana Bata”という言葉があります。これは日本語の「鼻」と英語の「バター(butter)」が語源となっており「鼻水」という意味です。“In my hana bata days”というと、「私が子供の頃」という意味にもなります。このように、さまざまな言語がもとになってピジンを構成しているのです。

 ハワイにおいてピジンは、労働者の言葉という認識が昔からあります。たとえばパプアニューギニアなど他国のピジンは、多民族間でのコミュニケーション手段として話されるようになるうちに公用語に発展するなど、地位の高い存在であるのに対し、ハワイにおけるピジンの地位はきわめて低いものといえます。これは19世紀を通して英語の影響力が増して行く一方、1893年にはハワイ王国が転覆されて共和国になり、1898年にはアメリカに併合されたことで、さらに英語の存在感が増す結果になったということが理由として挙げられます。

ピジンはどう使われているか 

 では、そんなピジンは現在どのような場所で使われているのでしょうか? ピジンは学校で教わることはありませんが、家族や友達同士のコミュニケーションの中で覚える機会があります。ハワイに住むアメリカ本土出身者でも、その子どもたちが学校の友達との会話でピジンを話せるようになる可能性も高いでしょう。また、ピジンは自分を強く見せたり、男らしさ(女性の話者が利用することもあり得る)を示す場面で使われたりすることも多々あります。そのため、学校では英語で話していても、サーフィンをする際などに出会うローカルな人々とのコミュニケーションでしばしばピジンに切り替えるということが起こり得ます。 

 あるいは、ピジンが英語に溶け込み、無意識のうちに使っていることもあるようです。かつてハワイ州知事であったベン・カエタノ氏は、学校などでのピジン語の使用を否定するスピーチを行ったのですが、そのスピーチの中でピジンの一部がうっかり使われていたということがありました。それくらいピジンはハワイでのコミュニケーションに入り込んでいるといえるでしょう。

 このように、正式な場では話されることのないいわゆる「あまりお上品ではない」イメージのピジンですが、1970年代からピジンで詩や小説が書かれたりするようになり、ある種の正当性が主張されています。現在もFrank Delima、Andy Bumatai、Augie Tなどピジンを操るコメディアンが人気を誇っています。特に、Andy Bumataiは、ウェブでの発信に熱心で、YouTubeでDaily Pidginというピジンを紹介する番組を制作していることもありました。ピジンがどんな言語か知りたい方はぜひ見てみてください。


構成:富永玲奈