前近代の日本の経済において、「米」の重要性はどれだけ強調してもしすぎるということはありません。栄養価が高く、保存がきき、ただ炊くだけでおいしく食べられる米は一種の通貨として用いられるほど、価値のあるものとみなされてきました。政府への税が米によって納められることもありました。さらに江戸時代になると、より明確にこの米を中心にして政治・経済・社会が組み立てられるようになりました。すなわち、百姓から武士に納められる年貢を米に限定したのです。

 武士が自分の所領である農村を離れ、都市に住むようになった江戸時代には、「市場」が社会を成立させるための不可欠な要素となりました。都市で生活する武士には年貢の米しか手に入らないので、その他の財貨やサービスを調達するために、市場を介して、米を貨幣に替える必要が出てきたのです。つまり、武士にとって米は食料であるよりも、事実上の通貨になったのです。しかも、需要と供給の関係から、市場に米が多く出回ればその値段は安く、逆に少なければ高くなります。こうして、人々の暮らしをその根底で支えてきた米の価値が貨幣によって相対化され、日々変動するようになったのです。

 このような状況に異を唱えた人物の一人が熊沢蕃山(1619年~1691年)です。蕃山は「いまの世の中は無駄になる米が多いことで成り立っている」、つまり米が無駄になることによって米価が高くなることを見抜き、市場のシステムに頼らない社会にすべきだと主張しました。米を一度貨幣に替える、つまり、生産と消費の間に「銭勘定」がはさまっているからおかしなことになるので、それをなくしてしまえば、どれだけ米が多くとれても無駄になることのない世の中になるというのです。

 蕃山は「徳治」こそが世の中のあるべき姿だと考えていました。「天下国家」の基盤は人を慈(いつく)しむという倫理性であり、本来それはすべての人間に備わっている。いまは、経済的困窮がその倫理の発現を妨げているので、誰もが安定した日常を過ごせるようになれば道徳的な社会が実現するはずだ。そう考えた蕃山は、都市に住む武士たちがそれぞれの所領に戻り、みずからも生産者として暮らす「武士土着」を主張しました。武士が農村に戻れば米以外の生活必需品も手に入るので、市場が必要なくなるからです。しかしこれは、江戸時代の社会構造を根本から覆すものであり、幕府にとっては到底受け入れることのできないものだったのです。

 生産と消費を直結させる蕃山の考えは、今日の経済学から見れば常識外れです。市場を介さない取引はほぼ物々交換なので、手に入る財貨やサービスは非常に限られたものになります。事業の成長や社会の発展といったものもほとんど望めないでしょう。しかしこれは、現代を生きる私たちの価値観です。ひとたび飢饉が起これば何万という人間が死ぬ江戸時代では、成長や発展などより「飢えないこと」が大事だったのは間違いなく、「武士土着」は非常に理にかなった政策だということもできるのです。

 歴史の中には、実際に起きたことだけでなく、人の頭の中だけで終わってしまったことが山のようにあります。たとえ出来事としては残らなくても、それらは決して無意味ではありません。思想や空想がなければ、人は「こと」を起こせないからです。クリエーション(創造)はイマジネーション(想像)からはじまります。世の中にあるすべての事物・事象は自然物ではなく、そもそものはじめは誰かの脳の中の想像だったはずで、それに意志と技術が伴えばその「想像」は「創造」に転化し、現実の社会の構成要素となります。昔の人々がどういう思想を持ち、どんな価値観に基づいて生活していたのか。そしてそれは、現代の私たちとどのようなつながりがあるのか。思想史を研究する醍醐味は、そんなところにあると思います。