ローマ帝国は紀元前3世紀から紀元後6世紀にかけて、地中海沿岸を中心に栄えた帝国です。最盛期の人口は約6000万人、領土は、西は現在のスペイン、東は現在のシリア・イラクにまで及びました。ローマ帝国といえば華麗な建築物が思い浮かびますが、その社会の特徴としては「多様性」を挙げることができます。異なる文化や価値観を持った人々が頻繁に地中海を渡り、交流や共生を果たしていました。現代でも難しいこのようなことが、なぜ、2000年も前の人々に可能だったのでしょう。そのヒントは、神にありそうです。

 古代の人々にとって神は、自然の中に宿り、自然を司る存在でした。ギリシア神話でいえば海神ポセイドンや太陽神アポロンなどが有名ですね。これらの神は大いなる恵みだけでなく、時に暴発して日照りや津波、大嵐といった、理不尽な災厄をもたらしました。いいこともするけど、気分次第でヤンチャも悪さもする。ギリシア・ローマの人々は神のそんな「人間くささ」を受け入れ、犠牲を捧げたり、オリンピックなどの祭礼を催したりしてご機嫌をうかがいました。生きていくためには、いろいろな他者と同じように、神々とも「折り合い」をつけなければいけないと考えていたのです。

 ところがやがて、さまざまな民族的・文化的バックグラウンドを持った人々が、ローマの役人や有力者の下で均質な社会を形成するようになると、問題が生じます。権力を笠に着た役人や金持ちが庶民を苦しめたのと同時に、庶民同士の「常識」がぶつかり合い、争いが多発したのです。その解決を、人々は法律だけでなく、しだいに神に求めるようになります。多様な価値観が混在し、理不尽な権力がはびこる社会において、神はいまや「人間くさい存在」にとどまるわけにいかず、絶対的な倫理と正義をもたらす存在として「利用」されるようになっていくのです。そうした変化を示すもののひとつに、現在のトルコに流行した「告白碑文」があります。

 いま仮に、Aさんから借りたお金をBさんが返さないというトラブルが発生したとしましょう。Aさんはそのいきさつを神に訴え、Bさんに天罰を下すよう嘆願します。その後、Bさんは(たまたま)大病を患いました。それを聞いたAさんはBさんの病床に立ち、おまえの病は天罰のせいだと伝えます。するとBさんは、これ以上の災難を逃れるため、自らの罪とつぐないの行為を碑文にして奉納するのです。

 それらの告白碑文の中に、ジゴロみたいな男が人妻を誘惑したり、役所の中で(!)未婚女性とケシカラン行為をしたりで、天罰を受けたという告白があります。そのつぐないとして彼が何を捧げたかというと、「羊に、ウズラに、モグラ」だったり、「マグロとその他の魚」だったり……。倫理を司り、借金を踏み倒す者や窃盗犯には死すら賜(たまわ)る神ですが、不倫などの性倫理にはふしぎと寛容だったようです。

 その後、ローマ帝国では厳格な倫理規範をもつキリスト教が国教の座を勝ち取り、皇帝たちの国家運営に少なからず貢献することになります。それは、キリスト教が迫害を乗り越えるために信仰信条を鍛え上げ、やがて王者の戦いぶりを示したからだと言えますが、いま見た通り、複雑になった社会で共生していくための「ルール」を人々が求めた結果だともいえるでしょう。このようにして受け入れられた「宗教倫理」ですが、それを奉じる人たちが現在も世界のあちこちで争いを起こしていることには、歴史の大いなるジレンマを感じずにはいられません。