通貨から見たモンゴル帝国以後の世界システム

上田 信

チンギス・ハーン騎馬立像ウランバートル)

 モンゴル帝国はチンギス・ハン1162年~1227年)によって建てられた世界帝国です。中国とモンゴル高原を中心に、西は東ヨーロッパ、トルコ、シリア、南はアフガニスタン、チベット、ミャンマー、東は中国、朝鮮半島をその支配下におきました。歴史上、もっとも広大な地域を治めた国といっていいでしょう。

 モンゴル帝国繁栄の要因の一つとして、銀による交易があると考えられます。モンゴル帝国の中枢となる元朝が成立する前の中国では主に銅銭が使われており、そこには発行された年の元号が鋳込まれていました。ヨーロッパの通貨には各国の王の肖像などが刻印されており、それによって価値が保証されていたのです。

 これに対して銀はどうでしょうか。基本的には自国でしか使用できない各国の通貨とは異なり、銀であれば誰もがその価値を理解できます。仮に大きさや形がバラバラだとしても、純度と重ささえ分かれば、国をまたいだ取引が可能となるのです。貨幣の起源ともされるタカラガイ子安貝)も、均一性と希少性のバランス、そして持続的に供給されるという条件が整うと、通貨として通用しました。また、第二次世界大戦中にドイツ軍の戦争捕虜収容所で日々を過ごした捕虜たちは、定期的に配給されていたタバコを通貨として使うようになったといいます。モンゴル帝国の銀に似た通貨を現代に探すならば、国家の枠を越えてインターネット上でやりとりされるビットコイン」といったところでしょうか。13~14世紀のユーラシアでは、中国の東南、あるいは南部で作られていた陶磁器や絹織物などがユーラシア全域に輸出され、その対価として各地の銀が中国に流れ込む、という経済システムが成立していたと考えられます。

 加えて、モンゴル帝国は交易路の各所にあった関所を取っ払って物資が滞りなく動くようにし、領域内の平和を保つことで商人やそれに付随する人びとが安全に移動できる環境をつくり上げました。このことは、モンゴル民族が遊牧民であることと深い関係があるように思います。一箇所にとどまることより、移動することを重視する彼らは、恐らく、人や物が動くことによって生まれる富」や豊かさ」といったものに対して鋭い感覚を持っていたのでしょう。

 こうして繁栄を極めたモンゴル帝国でしたが、やがてその交易が変調を来すようになります。当時のユーラシアに存在していた銀の量はそれほど多くなかったため、交易が拡大するにつれてその不足が顕著となっていったのです。先に述べた持続的な供給」という条件を、銀は満たさなくなったのです。一方、元朝は交鈔こうしょう)」といわれる紙幣を発行していましたが、銀の不足が深刻化したことで、それを乱発するようになります。記録によると、元朝は行政の元締めに交紗の版木を渡し、自由に刷ることができるようにしていたようです。その通貨は均一性と希少性のバランス」を取れなかったのです。これによって経済に混乱が生じ、黄河の改修工事に端を発する紅巾の乱」が直接的な引き金となって、モンゴル帝国は崩壊への道筋をたどることになりました。

 元朝の後に成立した明朝はモンゴル帝国の失敗」をふまえ、当初はできるだけ通貨を使わない方針を立てました。現物を税として取り立て、労働力を徴用するという方法で、財政運営を行っていたのです。 しかし、しばらくするとそのメカニズムは機能しなくなって、銀使いの経済に傾斜していきます。ちょうどそのタイミングで、日本で石見銀山が、中南米ではポトシ銀山が発見され、16世紀に大量の銀が中国に流入するようになり、東ユーラシアでは再び銀を使った交易システムが確立することになります。

 もしも石見銀山がモンゴル帝国の時代に見つかっていれば、もしも紙幣の総量をもっと厳密に管理していれば、もしも黄河の改修工事をもっとうまく進めていれば、モンゴル帝国が瓦解することはなかったのでしょうか。それは誰にもわかりませんが、これらのもしも」がひとつでも実現していたら、この世界が私たちの知るものとは別物になっていたことだけは間違いないでしょう。

 歴史とは、過去から現代にまっすぐに引かれた一本線ではありません。そこにはいくつもの分岐点があり、起きていてもおかしくなかった無数の出来事があります。歴史を学ぶ意義とは、正にそのような出来事に目を向けることではないでしょうか。

 今の世界は、モンゴル帝国が瓦解していった状況と重なっているように見えます。グローバル化によってもたらされた富」は想像を絶する格差を生み出し、パクス・アメリカーナと呼ばれる秩序は足元から崩れようとしています。ドルが世界の基軸通貨の位置から滑り落ちる可能性もあります。このような状況で私たちに必要なのは、傍観者の立場から勇気をもって一歩を踏み出すことではないでしょうか。

 人類が造った文明は、複雑系だということができます。そこではバタフライ効果」にたとえられる通り、ほんのささいな出来事が大きな違いを生み出します。歴史学の役割とは、過去から現在に至る変化の道筋を見極め、右か左かどちらに足を踏み出せばいいか迷ったとき、絶対的に正しいということはないのですが、よりよい踏み出し方の指針を与えことにあります。そして、その一歩が、歴史を動かす蝶のはばたき」となることもあり得るのだといっても過言ではないと思います。

上田 信 (うえだ・まこと)

立教大学文学部教授。独自の史的システム論(参考:『歴史を歴史家から取り戻せ』清水書院)に基づいて、中国社会史を軸にグローバルなテーマに挑戦している。これまでに、中国明清時代史、漢族社会の特質、トラの歴史、風水論などを発表。近著には『貨幣の条件:タカラガイの文明史』『死体は誰のものか』(いずれも筑摩書房)がある。