歌手とシャーマン

 歌手の藤圭子が生前のインタビューで、「二十四時間、頭が痛い」「この二十年間、吐きまくりの人生でした」などと早口でまくし立てるのを見て、これは巫病(ふびょう)に似ていると思いました。巫病とは、南西諸島のシャーマンであるユタが、ユタになる前にかかる病で、神によってユタになるよう導かれる病とされています。巫病になったからには、親ユタの元で修行する必要があり、修行してユタになる人もいれば、稀に苦しんだまま亡くなる人もいます。

 全盛期の藤圭子は声が美しく、音程に揺るぎがなく、発音が明瞭、という優れた歌手の持つ条件をすべて備えていました。そして歌っているときは、笑っているようで笑っていない。目が据わっています。昭和30年代初めまで存在した赤線で、日銭を稼ぐしかない薄幸な若い女性の心情を藤圭子は歌いましたが、そのような社会の暗部を丸ごと背負うことで時代と交叉し、注目されたのではないでしょうか。

 日本には商業ビジネス的なアイドルグループが数多く存在しますが、それとは別に、その人にしか歌えない世界観を憑りつかれたように歌う歌手が存在し、それこそがシャーマン性を持っている歌手と言えます。もちろんそのような歌い手も商業ビジネスと切り離せるわけではありません。しかし、聴く者を感動させる歌手の力と、シャーマンの持つ霊力は、案外近いものではないでしょうか。

 そもそもシャーマンとは、霊的な世界の消息を感知し、現世の人間に伝えることのできる人です。そのような能力は極めて特殊なように思われますが、実際はありふれています。たとえば柳田國男は、「七歳までは神のうち」と述べています。赤ちゃんが部屋の中で人のいない所を指差して笑ったり、幼い子どもが誰もいない座布団を指差して「あの人、だあれ?」と訊いたりする話はよく聞きますが、成長すると普通、そのようなことは言わなくなります。

 また石垣島では、海辺で暮らす人は天気を予知することができると言われています。午前中に海辺に座っていると、午後にどんな天気になるか分かる。雲の形や動き、風の中の湿り気で感じるのです。これは自然の近くで生きる人々にとって必要な能力ですが、シャーマンの能力と通じるのではないでしょうか。普段は何も感じない人でも、「虫の知らせ」のように、大切な人が亡くなるとそのことを感知することがあります。日常では気付かないけれど、案外皆もっている力です。

さまざまなシャーマン

 シャーマンの分類として、「脱魂型」と「憑霊型」がよく知られています。脱魂とは、霊魂が身体を離脱することですが、これは特殊なことであって、よほど宗教的な天才でないと起こりません。ダンテの『神曲』で描かれるのは、まさに脱魂して巡った異界のことですが、日本では平田篤胤が『仙境異聞』に記した天狗にさらわれた少年ぐらいではないでしょうか。首里王府によって編纂された神歌集『おもろさうし』には、神女の「降臨」がよく歌われています。「降臨」はビジョンと解釈するのが通説です。神女は俸給のある役職で、彼女たちは実在の人間です。ただ彼女たちが「降臨」するためには、一度天界に「昇天」しなければなりません。だとすれば彼女たちは「脱魂」すると解釈することも可能です。また、もっと身近な例として、臨死体験で語られる幽体離脱も、脱魂と通じる現象と見ることができます。

 一方の憑霊型は、亡くなった人の霊がとりついて想いを語るタイプです。東北地方のイタコも南西諸島の「ユタ」も、この憑霊型です。ユタには「マブイワカシ」(魂を分ける)という儀礼があります。亡き人に思いを語らせ、生死をわけ、思い残しなく成仏させるための儀礼です。憑霊型のユタならではの儀礼と言えるでしょう。

 同じ脱魂型・憑霊型のシャーマンでも、その中には多様な種類があり、さらには個々人で違いがあります。また、この二つの分類ではくくれない能力もたくさんあります。相手の心の様子を絵に描く霊的カウンセラーや、相手を見ると身体の悪いポイントが分かる鍼灸師など、一体何を霊能力と言うかによって、変わってきます。まだ誰も名付けたことのない霊能力は多様に存在するのです。

 新潟県を中心に活動した盲目の旅芸人である「瞽女(ごぜ)」も、シャーマン性を持っています。藤圭子の母も瞽女と言われましたが、彼女たちは蚕や農作物がよく育つようにと、神霊に祈り、歌をうたいます。持ち歩く杖で身体の悪い箇所を触ると治り、袋で子どもの身体をくるむと丈夫に育ち、経を読むと邪気が払われると信じられていました。瞽女は修行を終えて一人前になると、披露目の儀式をおこないます。このとき花嫁の格好をしますが、花婿は存在しません。神霊と結婚すると考えます。これはイタコの披露目(ひろめ)の儀式でも同様です。彼女たちの花婿は神と考えられます。

 漁法や機織り文化をはじめ、南西諸島と文化的に相似点の多い伊豆諸島では、ミコケ(霊能力)のある人が集落のミコになります。青ヶ島で家にミコがやってくると、どんちゃん騒ぎで歌い踊り、畳がすり減ると言われました。歯痛などの病気治療から、亡くなった人をなぐさめるまで、ミコに託された役割は多いのです。

 南西諸島の霊的存在は、「ノロ」と「ユタ」に代表されます。ノロは公の役人という立場で、村の有力な家系の女性が選出されました。ノロは俸給付きで土地を与えられ、その就任は名誉なこととされます。彼女たちは集落の幸せや子供・農作物の豊作を祈ります。一方のユタは、民間の個人的な存在です。狂気と紙一重の巫病になった女性がユタとなり、病気や死、霊魂にかかわる個人的な相談にのります。ユタはかつて、「迷信を助長する」として弾圧されたこともありました。

 過疎高齢化の進む今日、地方でシャーマンとして活動する人は多くありません。奄美では祈るだけのユタはいても、個人の相談にのることができる人は少なくなりました。しかし沖縄のユタは、インターネットで宣伝して県外からも相談者がやってくるなど、活況を呈しています。シャーマンは地方より都市で活動しています。若い世代には霊的なことを信じない人々が多いですが、求めている一面もあります。それがスピリチュアルブームやパワースポットブームの形で現れました。都会や都市近郊にはさまざまな能力を持った人が集まっており、潜在的なシャーマンも多いのです。

 シャーマンの霊的な能力は、しばしば医学的な見地からも説明されます。そのような言説をすべて否定するつもりはありません。しかし、私たちがこうだと信じ、立証できる科学的な理論とは別に、世の中には私たちが詮索する必要のない別のことわりも存在します。それによって動かされることもある、と思いながら生きる方が楽しいのではないでしょうか。

 人は誰しも、自分の物語を生きています。他ならぬ私がなぜこの病になったのか、西洋医学では教えてくれません。シャーマンは、先祖を敬わなかったからとか、井戸を塞いでしまったからと語ることでしょう。その物語に沿って行動し、病が治れば良いですが、治らないこともしばしばです。それでも私たちは、自分の物語を紡いで生きていけば良いのです。シャーマンは私たちが自分の物語を主体的に生きるために、目に見えない世界からのメッセージを受け取り、私たちの生き方に重要な示唆を与えてくれます。

構成:辻信行