ケルト十字架 アイルランド ©Tsuruoka Mayumi

 日本列島人はAかBかという二項対立的な思考ではなく、AとBの中間性を大切にしてきました。天秤を思い浮かべていただくと、お皿の部分ではなく、幹の部分。体幹のバランスに重きを置いてきたのです。感覚的で微妙なものに価値を見出してきたことは、たとえば次の和歌にも表れています。

 秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

 これは『古今和歌集』に収められた藤原敏行の名歌です。秋の訪れが紅葉の色づきのように目に見える形では分からないけれど、風の音で感じられる。敏行はまさに<非在の在>を実感しています。

 こうした感性にも通じる日本人の特質を、心理学者の河合隼雄先生は<中空構造>と呼びました。そしてそれは、欧米式の強制力には拠らない方法を取った、新型コロナウイルスのパンデミック対策では、功を奏している部分があるのかもしれません。

 そもそもpan-demic(パンデミック)のpanは「あまねく」、 deは印欧語根のde-に由来する「分ける」ことを意味しています。democracyのdeと同根。誰とでも<分かち持つ>こと、これがパンデミックでも民主主義でも大原則になるのです。ペストが流行した14世紀、ヨーロッパでは照応(コレスポンダンス)の哲学が広まりました。宇宙空間の星が一つ動くことで、人間界もそれに合わせて動かされてしまう。自然界のできごとと人間界のできごとが直結していることへの気付きです。そしてパンデミックで社会的なヒエラルキーが一気に変わってしまうことを<運命の車輪>とも表現しました。風が吹けば桶屋が儲かるといった「小さな因果関係」ではなく、宇宙大の車輪が回転するイメージをしっかりと把持したのです。

鎮死者

 今回のタイトルにある「病を鎮める」の「鎮める」という言葉には、静かにさせるというイメージがつきものですが、もともとは「心霊みずからが<祀られる場所>を求めて来て、その土地に落ちつくこと」、それが「鎮める」でした。旧字体の「鎭」の旁(右側)は、行き倒れた死者を表しています。日本でもそのような「鎮死者」は呪力と霊力を持ち、怒れる存在とみなされてきました。

 新型コロナウイルスの感染拡大により、遺体がモノと化し、仮設の埋葬場に穴を掘って次から次へと入れられる映像が世界各地から届いています。これはまさに「鎮死者」の光景です。しかし「鎮死者」は、決して憐れではありません。絶大な力をもって、護り手となりその土地に鎮まってくださるということなのです。

 「鎮」の部首は「金」偏。金に代表される鉱物は、太古から鈴のようにチーンと鳴らす瞬間、死者とつながると考えられてきました。まさに「鎮」は、金属が炉の中で燃えたぎり全体と繋がっていくイメージなのです。

太陽の鳥

 昨今話題になっているアマビエの姿は、鎮死者のように<土地に宿る精霊>として、人々の結束を促すために現れたのだと思えます。浜辺で光っていたという伝承から、アマビエの「発光」はクラゲのイメージと重なります。近年日本各地の水族館でクラゲ(海月)が人気を集めているのは、こうした生物が何か大切なことを発信しているからかも知れません。その発光は江戸時代の奇談集『三州奇談』にあるように「くらげ火」や「海月の火の玉」と呼ばれ、それはケルト起源のハロウィーンの夜に現れる鬼火のように、死と生の間に揺れる火・光です。

赤クラゲ「栗氏千虫譜第9冊」国立国会図書館蔵

 つまりアマビエは、こうすればこういう得があるというような「小さな因果関係」ではなく、死に向き合う難事にこそ、利己ではなく利他を思う共同体へと人間が大きく変わる「契機」として現れ、生死の光を点滅させながら、それを促しているのではないかと思えます。

 アマビエには羽毛のようなものがあります。羽のある存在といえば、西はアイルランド、東はモンゴル・日本まで、ユーロ=アジア世界の諸民族は、とくに鷲・鷹を象(かたど)った「生命デザイン」を力強く伝えてきました。欧米の列強や大国が鷲・鷹を国旗やエンブレムに組み込んできた歴史があるのは、それが猛禽で威嚇的だからではなく、ユーロ=アジアの人々にとって天と地を繋ぎ天空を悠々と飛ぶ「太陽の鳥」であり、「死をくぐり再生する」神々しいシンボルだったからです。

 そもそも「デザイン」(design)とは、ラテン語の「デシナーレ」(designare)に由来し、「方向を指し示す」という動的意味を持っています。鷲や鷹もアマビエと同じく共同体に難事が起こるとき、重要なデシナーレをする徴(しるし)として存在してきたということです。「鷹匠」というシャーマン的な職能がユーラシアから日本列島にも伝わってきた理由がここにあります。

「精霊としての鷹」キルギスタン(撮影:鶴岡真弓)

 アイルランドの詩人・劇作家のイェイツ(1865~1939)は、日本の能に影響を受けて『鷹の井戸』という戯曲を書きました。生命の泉を守ることができるのは人間の英雄・クーフリンではなく、鷹の化身です。イェイツは鷹に、ケルト伝統の「all living things / 生きとし生けるもの」への崇拝観念を託しました。鳥やセミ、動物たちは何億年もの間、この地球上に生きてきた。人類は新参者に過ぎない。イェイツが作品にしたこの先人の思想は、自然保護やエコロジカルといった人類がついこの前に思いついた主義のような薄っぺらなものではありませんでした。

<種>として生きる

 1918年2月21日、アメリカ・シンシナティの動物園で、一羽の鳥が死にました。これにより、カロライナインコという一つの種が地球上から絶滅しました。ヨーロッパからアメリカに人類が大移住することで果樹園がつくられ、インコは害獣として駆除されるようになり、その果ての出来事でした。

 ちょうどその頃、スペイン風邪のパンデミックが生じていました。1918年1月~20年12月にかけて流行し、当時の世界人口のおよそ1/4にあたる5憶人が感染、1700~5000万人が亡くなったとされています。死者の中には、社会学者のマックス・ウェーバー、建築家の辰野金吾、画家の村山槐多も含まれています。

1918年パンデミック「スペイン風邪」野戦施設 アメリカ カンザス(wikipedia)

 そして20世紀初頭は、疫病と同時に世界大戦が進行していました。パンデミックの真っただ中にある1918年夏、日本は英米仏軍と共にシベリア出兵を宣言します。歴史の教科書では戦争についてはページを割いても、スペイン風邪については十分に記述されていません。疫病も同じウエイトで語られる必要があるのに、人間のつくった大砲、武器などの人工物がもたらした死だけを重視し、自然界の微生物やウイルスのもたらした死を軽視する傾向が根強くあるということです。

 このような歴史(記述)が繰り返されるなら、22世紀も23世紀も人類は、優れた性能の戦闘機や巨大なミサイル、大量死をもたらす指導者を英雄視し続けるでしょう。しかし今回の新型コロナウイルスのパンデミックにより、私たちが戦争だけでなくウイルスという微細な存在によってその生死を左右される、自然界の一員であることが再認識されたようにも思えます。

 私たちが武器の製造にまったく関わらず、絶滅危惧の鳥たちの死にもまったく加担しない善人になれるのか、暗中模索の日々が続きます。しかし先人に学びアマビエや鷲や鷹の「生命デザイン」をみつめることで、この地球で生かされていることに思いを致すことは可能です。改めて申し上げるまでもなく「地球の主人公」は人間ではありません。それは生きとし生けるものたちと、「鎮死者」のように行き倒れ、累々と堆積されてきた死者たちの総体なのです。私たちは、一人の<個>ではなく、人類という<種>として生きることで、この地球の生命循環を脈々とつないでゆく一員になれるのです。

「生命デザインに満ちる遊牧民住居と筆者」カザフスタン (撮影:田口エリン)

構成:辻信行