世界最高峰の音楽コンクールのひとつで、ピアニストの登竜門となっているショパン国際ピアノコンクール。前回(2015年)の大会で公式楽器とされた4つのメーカーのうち、ヤマハとカワイという日本の2社が選ばれたことはあまり知られていないかもしれません。

 もともとこのコンクールの公式楽器はスタインウェイやベーゼンドルファーといった欧米のメーカーが主流でしたが、1985年に日本のこの2社が採用され、音楽界で大きな話題となりました。どちらも日本では音楽教室のイメージが強いメーカーですが、ピアノをはじめとする楽器のクオリティも世界レベルなのです。楽器大国といっても過言ではない日本は音楽教育も盛んで、特にピアノはポピュラーな習い事でもあります。では、ヨーロッパで生まれたピアノが日本に普及し、習い事の定番となった背景には何があるのでしょうか? 日本の音楽教育と楽器メーカーの躍進について見ていきたいと思います。

 ピアノは江戸後期の1823年、「シーボルト事件」で知られるドイツ人医師 シーボルトによって初めて日本に持ち込まれました。幕末以降は、居留地の外国人に向けて日本に輸入、販売されるようになり、1879年から日本の海軍軍楽隊などでピアノの伝習がはじまります。そして1897年には、医療器械師兼時計師の山葉寅楠(とらくす)が創業したオルガン製造所が元となって、ヤマハの前身である「日本楽器製造株式会社」が誕生しています。ちなみに国産ピアノ第一号とされているのは、1900年に完成したヤマハのアップライトピアノです。

 言うまでもなくこの頃は、ピアノはまだごく一部の富裕層のものでしかありませんでしたが、明治末期、ピアノを子女に購入するインテリ家庭が増えてきました。かの森鴎外の家でも、長女の茉莉(まり)のためにピアノを購入したことが記録されています。大正時代に入るとさらにピアノの購入数は増えていきますが、それでもやはり値段が高いこともあり「良いところのお嬢さんの習い事」にとどまっていました。

 ちなみにピアノが男子ではなく女子の習い事のイメージが強い理由として、欧米の文化の影響も考えられます。19世紀のフランスやアメリカでは、ピアノはブルジョワのお嬢さんの花嫁修業のための習い事というステイタスが確立していたのです。ピアノが弾けると結婚に有利という風潮もありました。そのため、日本でも上流階級の子女が身に着ける教養のひとつとしてピアノが選ばれたのです。

 また、日本の楽器メーカーで面白い点は、ピアノだけではなくさまざまな楽器を製造しているということです。外国の楽器メーカーはひとつの楽器に特化して製造しているため、いろいろな楽器を手掛けるという発想はありませんが、ヤマハはドラムや管楽器、弦楽器も作っていますし、楽器ですらないオートバイまで作っています。日本のものづくりの精神と職人技の結果として、ショパン国際ピアノコンクールなどでもクオリティが認められているということなのでしょう。

習い事としてのピアノ

 日本でピアノが一般的になじみのある楽器になったのは、第二次世界大戦後になってからのことでした。戦後の所得倍増計画で一般家庭が裕福になり、ピアノは頑張れば手の届くものになってきたという背景があります。戦前からピアノに対する憧れは強く、「自分ができなかったことを子供にはやらせてあげたい」と願う親たちがこぞってピアノを家に置くことを検討しだしたのでしょう。

 さらに注目すべきなのは、1961年から実施された小学校の学習指導要領で、オルガン(鍵盤)が必修科目になったということです。全国の小学校で何十台ものオルガンが導入され、児童が鍵盤に触れる機会が生まれました。その後の指導要領ではオルガンから鍵盤ハーモニカに移行しましたが、鍵盤や五線譜(楽譜)と接する機会は保たれています。私たちにとっては音楽の授業で楽器に触れたり五線譜を読めたりすることは当たり前のように感じるかもしれませんが、たとえばフランスでは、意外なことに、小学校ではピアノをはじめとする楽器に触れる教育は行われておらず、いまでも五線譜を読めない人が多いのです。そのことを考えると、日本の学校教育には昔からピアノ(鍵盤)を身近に感じる素地があったのです。

 また、学校における音楽教育より一足早い1954年にヤマハが音楽教室を、そしてカワイも1957年に音楽教室を開設しました。専門家を育てる従来の音楽教室とは異なり、純粋に音楽を楽しむことを目的としていたこれらの音楽教室は、学習指導要領の影響もあって急成長を遂げました。都市部だけではなく地方にも開校し、全国規模でピアノの習い事は広まっていきました。つまり、経済成長による所得の増加と学習指導要領、そして音楽教室の普及が、今日まで続く「習い事としてのピアノ」の一般化を実現させたといえるでしょう。ピアノが日本でこれほどまでになじみの深い楽器になったのは、ヤマハやカワイといった国産メーカーの力が大きかったのです。ちなみに楽器メーカーが組織的に音楽教育をビジネスにして普及させるという動きは、他国では見られない現象です。

 ただし、日本のピアノ生産という点でいうと、1980年をピークに下り坂の傾向が見られます。これは少子化や、一軒家からマンションが増えていく住宅事情が考えられますが、電子ピアノが普及したこともあり、ピアノ自体の人気が下がったわけではありません。ヤマハ音楽教室に関していえば、いまや世界40か国以上に展開しており、500万人を越える卒業生がいます。日本で生まれたピアノ教育は海を越え、世界中にその楽しさを広めています。


構成:富永玲奈