アクション・ペインティングはいかにして生まれたか

大島 徹也

ジャクソン・ポロック ≪インディアンレッドの地の壁画≫ 1950年 テヘラン現代美術館 提供:Bridgeman Images/アフロ

 アートの中心といえば、20世紀前半まではヨーロッパ、とくにフランス・パリでした。しかし、第二次世界大戦後はそれがアメリカにシフトします。その端緒となったのは、戦後まもなくのニューヨークで生まれた“抽象表現主義”でした。今回は、そのような美術史的重要性を持つ抽象表現主義の動向の中でも、とくに“アクション・ペインティング”と呼ばれる有名な一側面に焦点を当ててみたいと思います。

 アクション・ペインティングに分類される代表的なアーティストとして、ジャクソン・ポロックやウィレム・デ・クーニングがいます。ポロックの作風は、知っているという方もいらっしゃるかと思います。絵の具が激しく飛び散り、大きな画面いっぱいに線が走り回る彼の作品は、たしかにそれまでの絵画芸術とは一線を画する画家の動き=アクションを感じさせるものだといえるでしょう。通常の絵画は、基本的に手首中心の動きで描かれます。それに対し、ポロックは肩を中心にして、“アクション”という言葉がふさわしい大きな身振りで、床の上に広げたキャンバスに絵の具を流し込んだり撥ね掛けて描きました。

 ポロックやデ・クーニングたちの絵画を“アクション・ペインティング”と最初に呼んだのは、ハロルド・ローゼンバーグという彼らと同時代のアメリカの批評家でした。アクション・ペインティングが論じられるときには必ずといっていいほど引用される、彼の有名な言葉があります。

 ある時、一人また一人とアメリカの画家たちにとってキャンバスが――実際あるいは想像上の対象を再現したり構成し直したり分析したり、あるいは“表現する”空間であるよりもむしろ――行為をなす場としての闘技場のように見え始めた。キャンバスの上に起こってゆくのは一枚の絵ではなく、一つの事件であった」拙訳)

 これは、ローゼンバーグが1952年に発表したアメリカのアクション・ペインターたち」という論文の一節です。彼は、それまでは絵が描かれるものだったキャンバスが、戦後アメリカの一群の画家たちにとっては、行為する場、アクションする場になったと言っています。彼らの描画の身振りだけでなく、画面との向き合い方にも、それまでの絵画とは違った感覚をローゼンバーグは見て取っています。この論文が“アクション・ペインティング”という見方・考え方の始まりで、それは、世間的には“抽象表現主義”という用語よりも、場合によっては有名になっています。

おおしま てつや 大島 徹也
多摩美術大学 准教授

多摩美術大学准教授。1973年愛知県生まれ。専門は西洋近現代美術史。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程修了。ニューヨーク市立大学グラデュエートセンター博士課程修了。愛知県美術館主任学芸員、広島大学大学院准教授を経て現職。