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 今年は「昭和100年」だそうです。それが原因というわけでもないでしょうが、ひと昔前の常識や価値観を「昭和」と呼ぶ風潮はすっかり定着した感があります。60年以上続いた時代をひとまとめにするのはかなり乱暴ですし、戦前と戦後でも大きな違いがあると思うのですが、そう感じるのは私が昭和生まれだからなのでしょうか。いまの20代30代にとっては、40年前も80年前も、同じ「昔」なのかもしれません。

 自分が生まれる前、つまりは経験していない時代のことをうまくイメージできないのは当然と言えば当然です。21世紀を生きる私たちが平安時代の空気観や江戸時代の庶民の暮らし、あるいは空襲警報におびえる戦時下の日々を自分ごとのように理解するのは難しいでしょう。だからといって、それらをすべて過去のこと、既に終わったこととしてなおざりにしてしまってもいいのでしょうか。

 現在がそこに至るまでの時間と出来事の連なりの上に成り立っていることは、改めて言うまでもありません。ウクライナとロシアにしても、パレスチナとイスラエルにしても、それぞれの歴史を振り返ることなしには今日の状況を理解することも、恒久的な解決を模索することもできないでしょう。

 にもかかわらず、いまの世の中はこうした過去や歴史への意識がどんどん薄れていっているように感じます。時々刻々と更新される情報(ニュース)の波によって目を向けるべき過去が覆われ、忘却されているように思えるのです。ネットニュースでは過去の記事が古新聞のように堆積することもなく、次々に「上書き」されていくことも、過去への意識が薄らいでいる一因なのかもしれません。 

 過ぎたことにこだわらず未来だけを見る、というのも、個人の生き方としては自由です。しかしそれが社会や国家のレベルにまで適用されることには、大きな危機感を抱かずにはいられません。実際、EU諸国では排外主義的な極右政党が台頭し、アメリカの大統領は帝国主義を思わせる領土的野心を隠そうともしません。歴史は繰り返すと言いますが、結局人類は自らが経験しなければ、それが過ちであることに気づけないのでしょうか。だとすると、私たちが過去を反省する機会は、もう二度と訪れないかもしれません。

 人類滅亡までの残り時間を示す「終末時計」は、過去最短の「残り89秒」と発表されました。戦後80年を迎える今年、時計の針をわずかでも巻き戻すためにも、忘却されつつある過去に改めて思いを致す必要があるのではないかと思います。

2025.03.08

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