コギト エルゴ スム(我考える、ゆえに我あり)。あまりに有名なこの言葉は、科学研究の序文として書かれた『方法序説』の一節です。ここでの「考える」は、主に「疑う」ということ。デカルトは疑えるものはすべて疑う「方法的懐疑」の末に、これだけは疑えないものとして「コギト(考える我)」を導きました。近代哲学はおろか、近代科学の歴史をも切り開いたイチ語を、中村昇先生がふんわりとひも解きます。
思考する一節
「このことを注意深く考えてみるに、目覚めと眠りとを区別することができる確かな標識がまったくないことを私は明確に見てとって驚くあまり、この驚き自体が、私は眠っているのかもしれないという意見をほとんど私に確信させるほどである。」(『省察』山田弘明訳、ちくま学芸文庫、37頁)
「そして、「私は考える、ゆえに私はある」というこの真理はたいそう堅固で確実であって、懐疑論者のどんな法外な想定をもってしても揺るがしえないと認めたので、私はこの真理を私が求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け取ることができると判断した。」(『方法序説』山田弘明訳、ちくま学芸文庫、56頁)
