ネットやテレビなどの表現に批判が殺到し、またたくまに拡散されていく「炎上」。この炎上と関連が深いものとして、オンラインの匿名性をあげることができます。

 個人が集団に埋没し、個々の違いを認めることができなくなった状態(これを「没個性化の状態」といいます)では、社会的な規範への意識が弱まり、社会にとって望ましくない行動が生じやすくなることが、社会心理学の実験によって証明されています。身元がバレないとわかっていたら、非道徳的な言動に走りやすくなる、というわけです。

 一方で、没個性化の状態というのは、集団の規範が弱まった無秩序な状態ではなく、むしろ集団規範が強まった状態であるとするもうひとつの考え方があります。これは「社会的アイデンティティ理論」と呼ばれ、「われわれは〇〇である」という価値観を共有する集団においては、没個性化によって集団としての一体感が高まり、その規範にのっとった行動が強化されるというのです。企業の不正行為や有名人の不倫などが「燃え広がる」さまを見ると、炎上は規範を無視した個々人の暴発ではなく、集団規範にのっとった行動の高まりだといえるでしょう。

 2000年代の炎上は、このように、一般的な意味での社会的ルールから外れた者を大勢で攻撃するケースがほとんどでした。しかし最近では、すこし事情が変わってきています。炎上している理由がよくわからなかったり、言いがかりとしか思えないようなコメントが何万件もリツイートされたり、といったケースが数多く見られるようになってきたのです。これは何を意味しているのでしょうか。

 考えられるのは、SNSの普及に伴う炎上理由の個人化です。現実の社会ではとても受け入れられないような考えや、個人の感想に過ぎないようなものであっても、何千万人もが参加するSNSでは多数の「同調」を集める可能性があります。何万回もリツイートされることで有名人になれるかのように錯覚し、思ってもいないことを投稿する人もいるでしょう。そのようにして発せられたコメントがちょっとした勢いを得ると、意味や真偽を問われることのない「伝言ゲーム」として、半ば自動的に広がっていく。炎上がこのようにして起こるものである以上、その規模にはあまり意味がありません。伝言ゲームの参加者がその言説に賛同しているとは、必ずしも言えないのです。

 「意志なき炎上」においては誰もがその標的になりえます。それを完全に防ぐことはほとんど不可能でしょう。しかし、心ないコメントや無数のリツイートの先にいるのは、一人ひとり、生身の身体と個人名を持った人間です。その事実にまずは立ち返り、困難ではあっても、相互理解の可能性を模索していく。私たちにいま必要なのは、メディアを非難するだけの「リテラシー」ではなく、メディアと日常をつなぐ「対話のしくみ」を考えることではないでしょうか。