1990年代前半、日本で信者を増やしつつあったオウム真理教はロシアでも教勢を伸ばし、3~4万人の信者を獲得したとも言われています。この背景の一つに、1990年に施行された宗教法が宗教団体の自由な活動を保障していたことがあげられます。ヴァチカンやアメリカはロシア政府に圧力をかけ、経済支援などの見返りに信仰の自由を求めました。統一教会(当時)やエホバの証人が教勢を伸ばすなかで、オウム真理教も大々的に活動を展開していったのです。

 教祖の麻原彰晃は混迷するロシアにおいて「人道支援」を銘打ち、食料・医療器具などの物質的支援をおこないました。また学術エリートや政治エリートと接触し、布教の基盤を築き上げました。

 当時のロシアは、宗教哲学や宇宙論が流行の兆しをみせはじめた頃でした。ソ連時代には出版が統制されていた宗教的・精神世界的・オカルト的な本が次々に出版されました。ロシアの宗教哲学や宇宙論は、いわばロシア版「近代の超克」(西欧的近代の乗り越え)といえる側面があります。オウム真理教がロシアのテレビ番組などでとくに強調していた宗教と科学の接合は、そのような側面とも親和性がありました。

 オウム真理教が下火になった現在、ロシアでかなり人気があるのは禅仏教やヨーガなど身体実践を伴う宗教的伝統です。禅の持つ哲学性や身体性に惹きつけられる人々が多いという傾向は西欧と同じと言えましょう。補足しますと、西欧で浄土宗系が流行をみない理由を考察した研究によれば、浄土宗系の教えにある、すべてを救済する阿弥陀を中心とした思想がキリスト教と似ており、このような思想はいまさら必要ないと感じさせるそうです。

同床異夢〜ロシア正教会と政府

 ソ連時代、ロシアの人々の多くは教会に行く習慣がありませんでした。現在でも「週に一回あるいは一ヶ月に二〜三回教会に行く」信者の割合は3%という統計があります(国際社会調査プログラム、2008年)。その統計によると、「年に一回教会に行く」と「全く行かない」を合計すると74%になります。ここで思い起こしたいのは、ロシア人の約70%が自身を「ロシア正教徒」と回答していることです。教会に行かなくても信者を自認する人々が多いということです。このロシア正教会は、ロシアにおける宗教の最大勢力として政府と互恵的な関係にあります。

 その遠因は18世紀のピョートル大帝の時代に遡れるでしょう。この時代に、正教会の国家への従属が制度化されたのです。あるエピソードによれば、それ以前の総主教(ロシア正教の最高位聖職者)が自身を太陽に、皇帝を月になぞらえたことが俗権には耐え難いことであったようです。それ以来、ロシア正教会はつねに政府との交渉を強いられています。

 1917年のロシア革命後、正教会を含む諸宗教は大幅に活動を制限されることになりますが、正教会と政府の関係性に変化が生じるのは、スターリン時代です。対独戦時に、国家は正教会の諸活動を認める代わりに愛国心を高揚させるためのキャンペーンを依頼し、正教会を通して国民の心と金を集めました。

 現在は正教会が国家に従属しているとはいえません。ただ、ひとつ例をあげるなら少子化対策に悩むロシア政府と、人工妊娠中絶を倫理的観点から禁止したい正教会の利害は一致しています。ロシア正教会がモデルとしているのは、ヴァチカンのような存在だと私は考えています。一国の政府に対して物申すヴァチカンのように、倫理や人権などさまざまな社会問題において、政府関係者および一般の人々への訴求力を持ちたいのではないでしょうか。このようなロシアの政府と正教会の関係は「同床異夢」と表現することができるでしょう。

ルースキーとロシヤーニン

 よく言われることですが「ロシア人」を指すロシア語には、二種類あります。「民族的ロシア人」(ルースキー)と、「国民としてのロシア人」(ロシヤーニン)です。前者には(誤解を恐れずにいえば)いわば東スラブ系の民族的出自を持ち、ロシア正教徒を自認する人々が多いです(ソ連解体後の傾向として、キリスト教流入以前の多神教的世界に共感を示すルースキーも増加傾向にありますが、その点については機会を改めます)。後者のロシヤーニンは、ロシア連邦の国籍を持つ人々を指します。ブリヤートやタタールなどの諸民族も含み、信仰も多様です。この二つの言葉の違いは、ロシア正教会の布教戦略を考察する際にも重要なものです。今日のロシア正教会は、信仰の強制はしていないとしながらも「我々はルースキーのためだけではなく、ロシヤーニンのためにもなりうる」と主張しています(この包摂主義的な傾向については、後でもう一度言及します)。帝政時代には、異教徒を正教会に改宗させようとするスタンスに限界を認め、各自の信仰を認める代わりに国家への忠誠を誓わせるというスタンスに変わっています。

 1997年に改正された宗教法は、登録時点で15年以上の活動が確認される団体とそうでない団体を明確に分け、確認される団体に対しては様々な権利を与えました。この宗教法の前文には、「ロシアの歴史、その精神および文化の確立と発展における正教の特別の役割を認め、ロシア諸民族の歴史的遺産の不可分の一部をなしているキリスト教、イスラム、仏教、ユダヤ教およびその他の宗教を尊重」すると書かれています。

ウランウデの仏教寺院、イヴォルギンスキー・ダッツァン

 つまり、正教会の特別な地位を認めつつ諸民族の諸信仰にも配慮して、政府と歴史的諸宗教伝統とのあいだに協働体制を築きました。ロシアにある仏教やユダヤ教の宗教施設を訪ねることがあれば、プーチン大統領と記念撮影した各宗教代表者の写真が掲示されていることにお気づきになるでしょう。先に申し上げたように、帝政時代のツァーリ(皇帝)はイスラムや仏教を信奉する人々に対して、国家への忠誠を誓わせる代わりにそれらの信仰を認めました。ロシア正教会および諸宗教伝統との連携は、ソ連解体後に新しく始まったものではなく、帝政時代に遡ることのできるロシアの政教関係の特色といえるでしょう。

ロシア政府の「多宗派公認体制」

 現在のロシア政府は自国が多民族・多宗教国家であることを強調し、多宗派公認体制と呼びうる体制を敷いています。しかし、各宗教間にはれっきとした序列があり、ロシア正教会をトップにして、他の宗教は何らかの形で政府にチャンネルを持つものと、持たざるものとに分かれています。政府とのチャンネルを持つ宗教は、社会的存在感も大きいです。ロシアで宗教法人は制度上NPO法人の中に位置づけられているため、海外のNPO法人は、宗教法人、人権団体のいずれも活動を展開しにくい状況にあり、その点を懸念しています。

 政府とロシア正教会の結びつきに関しても、注意深く見つめる必要があります。先に述べた包摂主義−―他を包摂して拡大していこうとする傾向−―はロシア正教会の聖職者の発言に散見されます。他方、ロシア正教会の洗礼を受けたと公言するプーチン大統領は、「ソ連が崩壊してロシアは精神的空白に陥った。だからロシア正教会が必要だった」と述べていますが、これは90年代半ばに流行った言説をそのまま再生産しているにすぎません。正月・クリスマス・復活祭に、ロシアのテレビではプーチン大統領が正教会の総主教と握手する様子を繰り返し流します。ソ連解体後の教育法の改正により、子どもの教育の責任は国家から親へと移りましたが、テレビの影響力の強い――そのような統計があります――今日のロシアにおいて、正教会は家庭においても存在感を保とうとしています。ロシア政府と正教会は帝政時代から現代に至るまで、時に陽となり、時に影となって、互いに補完し合いながら国家を運営してきた存在だといえるのではないでしょうか。


構成:辻信行