ホロコーストという言葉は、第二次大戦中のナチス政権下で起きたユダヤ人の大量虐殺を指すものとして使用されるようになりました。600万人にも及ぶユダヤ人がアウシュビッツやトレンブリンカなどの強制収容所(のちに絶滅収容所)に送り込まれ、その命を奪われました。それだけでなく、ソヴィエトの捕虜、ロマ、障がい者、共産主義者、同性愛者などもターゲットになりました。この想像を絶するかに見える凶行は、日本から遠い国で一部の異常な人間が起こした、過去の出来事なのでしょうか。

 ハンナ・アーレントはホロコーストを、単なる大量虐殺ではなかった、あれは「死体の大量生産」だったと表現しています。ただ殺したのではない。特定の人間をふるいにかけて選別した上で、積極的に、機械的に、象徴的に、死体に変えていった。それは、制御を失った感情や攻撃性による、衝動的な暴力ではなく、理性の力によって計算され、組織され、合法化された暴力です。そしてそこには、少なからぬ想像力と創造力が投入されました。

 おびえる子どもをガス室に促すためにおもちゃを与えるという工夫をこらした収容所の看守。「働けば自由になれる(Arbeit macht frei)」という「嘘」の看板、ガス室の外側に設置された花壇。悲鳴をかき消すためにバイクを運んできて轟音をたてた者。より迅速で簡便な殺害のために、害虫の駆除に用いるチクロンBを囚人に用いることを思いついた者。

 このような残虐行為は、それが実行者にとっては「残虐ではない」ことによって成立したように思えます。かれらの多くは、家に帰ればよき父でありよき母でした。決して暴力的な人間ではなく、むしろ健康で健全なよき市民でした。かれらは自らのクリエイティヴィティを発揮して、効率的に、効果的に、死体を生産したのです。そのとき、眼の前のユダヤ人にも自分と同じように名前があり、家族や恋人や友人がいる人間であることは、忘却されていたように思います。

 「ただいま人身事故が発生したため、この電車はしばらく停車いたします。お急ぎのところご迷惑をおかけして、大変申し訳ございません」

 大都市の近辺に住んでいて頻繁に電車を使っている方であれば、一度はこのようなアナウンスを聞いたことがあるのではないかと思います。そのとき、私たちの心を占めるのは、電車の下敷きになった人のことでしょうか、それとも「何だよ、迷惑だな」というイラ立ちでしょうか。おそらく、私も含めた多くが、電車の「復旧」を願うのではないかと思います。

 なんのために? きっと、自らの計画や課題、目的を滞りなく達成するために。

 現代人の道徳や倫理観を咎めたいのではありません。生身の肉体と固有名をもったひとりひとりの人間の死が、「人身事故」という言葉によってその固有性を抜き取られて忘却され、計画(日常業務)の遂行の名のもとで機械的に処理されていく事態に眼を向けたいのです。そこに、ホロコーストを支えた「勤勉」な市民と共通するなにかがあるように思えてならないのです。

  ナチスの親衛隊に追われ、最後には服毒自殺をはかったとされるユダヤ人の哲学者、ヴァルター・ベンヤミンは、有名な論考のなかでつぎのように書いています。

 「過去の真のイメージは、ちらりとしかあらわれぬ。一回かぎり、さっとひらめくイメージとしてしか、過去は捉えられない。認識を可能とする一瞬をのがしたら、もうおしまいなのだ」(野村修訳「歴史哲学テーゼ」)

  アウシュビッツで日々せっせと死体を生産する者の貌、それはもしかすると、日常のなかで不意に眼にした鏡やショウウインドウの反射の内に映る、自身の貌だったかもしれない――時代を変え、地域を変え、実行者を変えて繰り返されてきた最悪の愚行を、また繰り返さないためには、そんな、自分の身体を射抜くような認識からはじめてみる必要があるように思います。

※本稿は、「危機のなかの芸術――知と美の暴力から考える」中村寛編著『芸術の授業――Behind Creativity』(弘文堂、2016年)を下地に、トイビトのインタビューへの応答を再構成したものです。