通っていた小学校の校歌を覚えていますか。「突然なに?」と思われたらすいません。もちろん全部とはいわないまでも、いくつかは、口ずさめるフレーズがあるのではないでしょうか。そして、その中にはきっと、山や川をはじめ、郷土の風景を歌っている箇所があると思います。実はここに、郷土愛を生み出す仕掛けのひとつが隠れています。

 「郷土」という言葉が一般に使われるようになったのは、意外にも明治になってからです。270年続いた「天下泰平」の江戸時代が終わったこの頃の日本では、西洋列強をはじめとした世界の国々に対抗するため、それまでの幕藩体制から「国民国家」という新しいしくみへの転換が急ピッチで進められました。国土という空間的広がりをイメージさせることで人々に「国民」であることを意識させ、国としてのまとまりを創出しようとしたのです。

 しかし、当時の人々が想像できる空間は自分の住んでいる村かせいぜい江戸時代の藩までで、とても日本全体をイメージすることはできませんでした。そこで政府は「郷土」という言葉を使って、まずはいくつかの村落を含む空間を意識させ、それをベースとして国へと拡大していこうと考えます。では、人々に郷土を意識させるには、どうすればいいでしょう。

 ひとつは冒頭で触れた校歌に見られるような学校教育ですが、他にも郷土同士を比較するという方法があります。その顕著な例が、内務省の主導によって開かれた「内国勧業博覧会」です。国内の産業の推進を目的としたこの博覧会では、各地の特産物や工芸品といった出品物を県ごとに陳列して品評会を行い、優秀者には賞金や賞状が授与されました。土地土地の特徴や差異を明確にして郷土への意識を擦り込み、それを空間的に拡大することで「愛国心」を醸成しようとしたのです。

 春・夏の甲子園で、自分の出身校ではなくても郷土の高校を応援したり、オリンピックで無条件に日本の選手を応援したりすることに、私たちは何の疑問も抱きません。そしてそれ自体は、別に問題とするようなことではないでしょう。しかしそこに、郷土や国へのしぜんな愛着を超えて、自らのアイデンティティを見出していくことには一抹の不安を感じます。アイデンティティとは、外部や他者を強く意識することによって、はじめて生まれるものです。国民国家の成立と、明治以降の日本が経験した戦争が決して無関係ではないということに、私たちは、改めて注意を払うべきではないでしょうか。