ヨーロッパで芸術が花開いた15世紀ルネサンスというと、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロをはじめとするイタリアの美術を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。しかしルネサンス美術の流れは、ドイツ(当時は神聖ローマ帝国)にも訪れました。15世紀のドイツといえば、宗教改革やドイツ農民戦争など、社会が揺れ動いていた時期でもあります。

 そのころ活躍した芸術家の代表に、アルブレヒト・デューラー(1471-1528)という画家がいます。世界史や美術の教科書で名前を知っている人も多いかもしれません。今回は、デューラーとルネサンスの影響について考えてみましょう。

 デューラーはドイツのニュルンベルクで生まれました。金細工師の父から描写の基礎を学び、若いころから美術の才能が見込まれていました。1490年代からイタリアのヴェネツィアに留学して当時最先端だった遠近法や陰影をつける技法をドイツに持って帰り、若くして高い評価を受けました。どちらも今では当たり前の技法ですが、これらはルネサンス期のいわば発明だったのです。

 デューラーがおもに描いていたのは礼拝堂などに飾られる宗教画や個人的に依頼されて描く肖像画。版画も多数制作しています。ちなみに余談になりますが、デューラーは著作権について裁判で争った歴史上初の画家でもあります。自ら製作した版画が、あるイタリア人版画家によって複製されて販売されていたのがきっかけでした。結果は今ではありえないことに敗訴となってしまいました。

 話を戻しましょう。デューラーの特筆すべき点は、美術史上初の本格的な自画像を描いた画家であるということでしょう。これまでも自画像というものは存在していたのですが、それらはどれも、作品中の人物の中に自分を登場させる、参集自画像というものでした。デューラーがユニークだったのは、作品に画家1人のみが描かれる単独自画像を描いたという点です。

アルブレヒト・デューラー『自画像』(1500年, Alte Pinakothek)


 では、デューラーはいったいなぜ単独自画像を描いたのでしょうか。しかも1493年以降、主要な自画像の油彩画を3枚も残しているのです。彼は芸術作品だけではなく、『ネーデルラント日記』など著作も多い画家なのですが、自画像を描いた真相はどこにも書かれていません。

 そこで考えられるのは、デューラーは自画像を通して芸術家の「自意識」を表現したのではないか、ということです。当時のヨーロッパはルネサンスと人文主義の時代でした。人文主義とは、ギリシア・ローマの古典を研究し、人間性の再興を説いた精神運動であり、英語ではヒューマニズムといいます。

 人文主義はそれまでの中世の神中心の世界観から人間性を解放することを目指しました。当時の代表的な人文主義者に、『愚神礼賛』を著したオランダのエラスムスがいますが、デューラーはそのエラスムスとも交流がありました。イタリアに留学したことや、同郷の友人で人文主義者のヴィリーバルト・ピルクハイマーなどとの交流を通して、デューラーは人文主義の影響を受けました。また、この時代は創造的表現である芸術が重んじられるようになり、芸術家の地位も高まりました。そこでデューラーは芸術作品の主題に、画家である個人を描いたのではないでしょうか。

 特に1500年に描かれた自画像は、真正面を向いた構図となっています。この正面像というのは、それまでは宗教画でキリストなどを描く際に用いられた手法です。デューラーはそれに自分をなぞらえているのではないでしょうか。しかもこの自画像は手を見せています。「手」のモチーフについても、創造主(=神)のイメージと重ね合わせていると考えられます。つまり、絵筆を持ってものを描く画家の手、自分もものをつくる、創造する人間だという主張が込められていると私は考えます。もっとも、一部ではそれはおこがましいという声もあるのですが。

 こうしたルネサンス・人文主義に影響を受けた芸術はしかし、ドイツでは長続きしませんでした。というのも、1524年にドイツ農民戦争が起こり、激動の時代を迎えて芸術が衰退したからです。その後もドイツの芸術は長らく停滞期を過ごし、再び花開くのは18世紀のロマン派の登場を待たなければなりませんでした。


構成:富永玲奈