一般的にイスラエルにおける対立は、ユダヤ人/アラブ人という図式で理解されていますが、実際はそう単純なことではありません。そもそも「ユダヤ人」と「アラブ人」はどのような人のことなのか、定義する人の立場によって大きく異なります。

 ユダヤ人とは、宗教共同体であるユダヤ教を基盤として規定されています。それが民族化し、中世以降は信仰の実践よりむしろ血統で継承されてきました。その結果、イスラエルのユダヤ人の過半数はあまり宗教的ではなく、なかにはユダヤ教の祝祭日や祭礼の内容がわかっていない人もいます。この点は、仏教や神道になじみながら自分が「無宗教」であると認識している日本人と似ています。イスラエルのユダヤ人の中には、自分のことをユダヤ人ではなくイスラエル人と呼んで欲しいと言う人もいます。また、アメリカやカナダの敬虔なユダヤ人の中には、敬虔でないイスラエルのユダヤ人と同一視されることを望まない人もいます。また他の宗教に改宗したユダヤ人をどう位置付けるかということも以前議論になりました。

超正統派のユダヤ人が暮らす地区(西エルサレム)

 アラブ人は、アラビア語を話す人々のことです。ただしイスラエルの中では、ユダヤ系でアラビア語を話す人はアラブ人とはみなされず、イラク系やモロッコ系ユダヤ人など出自をつけるか、「ミズラヒー/ミズラヒーム」(「東洋の」の意味)と呼ばれ区別されるなどなかなか複雑です。

 パレスチナ人は、パレスチナに居住している/していた人たちを意味します。一般的にはパレスチナに居住するアラブ人とみなされますが、土地に根ざしたという点においてパレスチナに居住するユダヤ人も当てはまるとする見方もあります。また、パレスチナ人=ムスリムのイメージがあるかもしれませんが、パレスチナ人にはキリスト教徒やドゥルーズ派(イスラームの異端派の一つ)もいます。

 イスラエル人は、イスラエルのパスポートを持っている人のことです。つまり、一般的にイスラエルに居住するユダヤ人のことを指しているように思えますが、もちろん、そのなかにはイスラエルの国籍を持つパレスチナ人(アラブ人)も含まれます。

 こうして羅列してみると、それぞれの呼称がその定義においてさまざまな問題や矛盾を抱えているのがわかります。

 2018年、イスラエルで国民国家法が成立し、憲法に準ずる「基本法」の一つとして加えられました。この法案でイスラエルは、「ユダヤ民族の国民国家」と改めて規定されました。1948年の建国時になされたイスラエルの独立宣言では民族によって差別しないことが謳われていましたが、この新法案は建国時の建前を廃した、ユダヤ人に限定した民主主義と呼ばれる現実の体制に即したものでした。

 私が初めてイスラエルを訪れたのは1998年です。1993年のオスロ合意によってパレスチナ問題は解決するのではないかという希望のもと、2000年までなんとか和平の状態は続きましたが、その後は悪化の一途を辿っています。2000年に発生した第二次インティファーダ(イスラエルによるパレスチナ軍事占領に対する民衆蜂起)は留学中でしたので、現地で経験しました。毎日バス停やカフェテリアなど町のあちこちが吹き飛ばされるようなテロが発生したのです。そのおかげ?で、ヘブライ語で放送されるラジオのテロ情報はすぐに聞き取れるようになりました。当時、ほとんどのパレスチナ人はユダヤ人地区である西エルサレムに近づかず、また訪れても英語やヘブライ語で会話していました。それから20年近く経った現在、西エルサレムの街中にはムスリマ(イスラームの女性)が歩いて買い物を楽しんでいたり、アラブ人の若者がアラビア語を話しながらビールを飲んでいたりと、2000年代初めには見られなかった風景が広がり、再び人びとの交流がはじまっています。ただし、ヨルダン川西岸のパレスチナ人地区とイスラエルを隔てる分離壁が完成し、イスラエルのユダヤ人はパレスチナ側に行くことを法律で禁じられています。つまり、現状は依然「共存」とは程遠い状況だと言えます。

イスラエルとヨルダン川西岸を隔てる分離壁(ベツレヘム)

 お話ししたように、この地域の状況は複雑である程度単純化しないと理解できません。しかし、単純化して分かった気になるのが一番危険です。とはいえ、単純化しなければ現状をとらえることが困難で、一筋縄ではいきません。

 こうしたイスラエルの複雑な現状を反映して創作している作家に、エトガル・ケレットがいます。SF風ショートショートに、救いようのない不条理と独特のユーモアを共存させる作風は、星新一と通じます。代表作の『パイプ』は、自分のことがイヤになった主人公の青年が、パイプの中にビー玉を入れたり出したりして遊んでいたところ、パイプと筒を組み合わせるとビー玉が出て来なくなったので、この仕掛けを巨大化して自分もパイプの中に入れば、いなくなれるかもしれないと思いつく話です。

 ケレットの両親は幼い頃にホロコーストを体験した生存者です。ユダヤ人収容所では本がなかったので、大人たちは思いつきの物語を子どもたちに語って聞かせました。そのような両親からの影響もあり、ケレットの作品世界は単純な明るい夢のような世界ではありません。しかし、何かが心にチクッと刺さるような読後感と、覗いてはいけない穴を覗いてみたくなるような中毒性によって、イスラエルに詳しくなくても楽しめますし、知っているとより一層深く理解できるでしょう。ケレットの小説はここ数年でいくつか邦訳が出版されているので、興味のある方は手に取ってみるとよいかもしれません。

 もう一人、ケレットの友人のサイイド・カシューアは、ヘブライ語で執筆活動をするパレスチナ人作家です。作品の登場人物は現実のカシューア本人を投影しています。表面的にはユダヤ人社会にうまく順応し成功をおさめているけれど、その実は常に周囲を気にする孤独で神経質なパレスチナ人です。ほとんどの文学をヘブライ語で学んだカシューアにとって、より高度な文学表現ができるのはアラビア語よりヘブライ語です。そんなカシューアがニューヨーク大学に招かれた際にスピーチで、「ヘブライ語で書くという選択は間違っていたと思う」と語り、イスラエルを去りました。アメリカでヘブライ文学を教えながら、未だにヘブライ語小説を発表しているパレスチナ人である彼のような人が、パレスチナVSイスラエルという観点からは抜け落ちてしまうのです。長編の邦訳はありませんが、彼の短編が拙訳で三省堂の『世界文学アンソロジー』に掲載されています。興味を持たれた方は、カシューア作品のエッセンスが詰まった物語を是非味わってみてください。

 最後に、映画『テルアビブ・オン・ファイア』をご紹介します。イスラエルのパレスチナ人監督によるコメディで、検問所や自爆テロなど占領の現実を笑いで描くことに成功した良作です。複雑で深刻すぎる状況、それを打破しようとする芸術、今イスラエルやパレスチナで生まれるこうした「間」にある作品を紹介することが私の役割だと思っています。

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第75回 ヴェネチア国際映画祭【InterFilm部門】作品賞&男優賞受賞
『テルアビブ・オン・ファイア』
出演:カイス・ナーシェフ、ルブナ・アザバル、ヤニブ・ビトン 他
監督:サメフ・ゾアビ
2018/ルクセンブルク・フランス・イスラエル・ベルギー合作/カラー/97分/アラビア語・ヘブライ語
原題:Tel Aviv on Fire
配給:アットエンタテインメント
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構成:辻信行