ここ最近の仏像ブームはどうやら静かに続いているようで、有名なお寺に限らず、各地の美術館や博物館でも仏像の展示はなかなかの盛況です。しかし、お客さんの様子を観察してみると、一体の仏像を見ている時間は長くて5分、人によっては1分もしないうちに「面会」を終えています。これはとてももったいない! 「だって、仏像なんてどれも似たようなもんでしょ」なんておっしゃらないでください。仏像にはつくられた地域や時代によって、実にさまざまな違いがあるんです。

 たとえば、日本でも人気の高い観音菩薩。観音菩薩というと柔和な表情の女性的な像を思い浮かべますが、初めてつくられたガンダーラの像は、筋骨隆々でヒゲを蓄えたマッチョなものでした。しかし、観音菩薩が慈悲の表現であることから、シルクロードの国々を通って中国へと伝わるうちに、少しずつ、女性的なものへと変化していったと考えられています。

 それでは、日本の仏像はどんな変化を遂げてきたのでしょうか。口ほどにものを言う「目」に注目してみましょう。仏教が日本に伝わったのは聖徳太子が活躍した飛鳥時代。当時の仏像の多くはぱっちりとした「アーモンド型」の目をしていました。しかし、時代が白鳳、天平と下るにつれて、上部が湾曲して下部が直線の「かまぼこ型」、反対に下部が湾曲して上部が直線の「逆かまぼこ型」、平安時代になるとうっすらとした切れ長の「平安美人型」へと変化していきます。

 そして、なんと言っても大きな変化が鎌倉時代に訪れました。この時代には、仏像の目の部分に穴をあけて水晶をはめ込む「玉眼」が登場したのです。それに加え、仏像の体内に紙や布で作られた内臓が納められるようになりました。仏像をつくる「仏師」の集団が形成され、専門職化されていく中で、しだいに、「人間のような仏像」がつくられるようになったのです。これは一体、何を意味しているのでしょうか。

 ひとつの仮説として考えられるのは、仏教の信仰形態の変化です。仏教が主に一部の貴族のものだった平安時代以前と異なり、鎌倉時代には広く庶民にも信仰されるようになります。仏教の経典には、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」、すなわち、「すべての生きとし生けるものには仏になる可能性がある」という意味の言葉があります。このことから、仏を、超越的なものではなく、自分たちにより近い存在として見る風潮が広がったのではないか。その結果として仏像にも、人間らしいリアリティーが求められたのかもしれません。

 この世に同じ人間がいないように、仏像も二体として同じものはありません。その一体一体には制作を依頼した者の意図、仏師の技術、当時の様式、信仰する人々の思いといった要素が、何らかのカタチとなって表れています。つまり、仏像を鑑賞することとは、その姿を愛でるだけでなく、千年の時を超えて語られる「言葉」を聴きとることでもあるのです。